環境DNA(eDNA)と生物多様性モニタリング

2025/11/16

環境DNA(eDNA)と生物多様性モニタリング

2025/11/16

私たちの暮らしや産業は、川や海、里山など、さまざまな生態系に支えられています。その一方で、「生きものが減っている」と言われても、実際にどこで何がどれくらい変化しているのかを把握するのは簡単ではありません。そこで注目されているのが、水の中に含まれる“生きものの痕跡”を読み解く「環境DNA(eDNA)」という手法です。 環境DNAを使えば、現場では水を汲むだけで、多様な生物の存在をまとめて調べることができます。国内では研究機関や環境省の関連機関が中心となり、河川や湖沼、沿岸域での活用が進みつつあります。環境DNAとは何か、どのような場面で役に立つのか、企業や自治体がどのように取り組み始めればよいのかをご紹介します。

■環境DNA(eDNA)とは

環境DNA(Environmental DNA)とは、川や湖、海などの水の中に含まれる、生きもの由来のDNAのことを指します。魚や両生類、昆虫などの生きものは、泳いだり、餌を食べたり、排泄したりする中で、皮膚や粘液、フンなどの形で、目には見えない細かな痕跡を周囲に残しています。この痕跡に含まれるDNAを採水によって集め、解析することで、その場所にどんな生きものがいたのかを推定することができます。

従来の生きもの調査では、魚を網で捕まえたり、専門家がフィールドで種を同定したりする必要がありました。環境DNAは、こうした作業の一部を「採水+解析」に置き換えることで、調査にかかる負担を減らしつつ、多様な生物の情報をまとめて得られる点が特徴です。希少種や夜行性の種など、目視や捕獲では見つけにくい生きものの存在をとらえやすい点も、大きな利点とされています。現時点では環境DNAの取り組みは魚類が中心と見えますが、昆虫類などを対象にする研究も進んでいます。

■どのように調査するのか

環境DNAの調査の基本的な流れは、比較的シンプルです。まず、対象となる川や湖沼、海で水を採取します。採取した水をろ紙などで濾過し、そこに付着したDNAを実験室で抽出します。その後、DNAの特定の領域を増幅して解析し、得られた配列を参照データベースと照合することで、どの生物種に由来するDNAかを特定します。

この方法では、比較的短時間で多くの種の存在を把握できる一方で、結果の解釈には注意も必要です。たとえば、上流から流れてきたDNAが下流で検出されることもあるため、「今その場所に生息しているのか」「過去に一時的にいたのか」といった点は、他の情報と組み合わせて判断する必要があります。調査の目的に応じて、採水の場所やタイミング、回数を設計することがポイントとなります。

■国内でも広がる活用の動き

日本では、環境省 自然環境局 生物多様性センターが、環境DNAを用いた調査の検討・普及に取り組んでいます。淡水魚類や両生類を対象とした手引きや参考資料が公開されており、河川・湖沼・湿地などでのモニタリングや、生物多様性調査への活用を視野に入れた標準化が進められています。

また、国土交通省や土木研究所などでは、河川の国勢調査(水辺の国勢調査)に環境DNAを取り入れる試みが進められています。従来の魚類調査では見つかりにくかった種の存在を補足できる可能性や、広い範囲を効率的に調査できる点が注目されています。現場での適用方法や従来データとの整合性、コスト面など、実務上の論点を整理しながら、今後の本格的な導入に向けた検討が続けられています。

このように、環境DNAは研究用の技術にとどまらず、行政が行う長期モニタリングや、自治体の自然環境調査などにも少しずつ取り入れられ始めています。

■環境DNAのデータ基盤事例

また環境DNAの活用を支える重要な取り組みとして、東北大学が主導する「ANEMONE(All Nippon eDNA Monitoring Network)」があります。ANEMONEは、日本各地で行われる環境DNA調査をネットワークし、そのデータを集約・公開することで、生物多様性の“ビッグデータ”を構築しようとする試みです。専用のオープンデータベース「ANEMONE DB」を通じて、調査結果が公開されており、生物多様性情報のインフラとしての役割が期待されています。さらに、海洋を対象とした国際的な取り組みも進行中です。複数の国・地域の研究グループが連携し、環境DNAを活用した海洋生物多様性モニタリングを展開しています。この取り組みは、UNESCOが主導する「OCEAN DECADE ACTION」にも採択されており、世界規模での生物多様性観測網の一つとして位置付けられています。こうしたデータ基盤の整備は、将来的に自らの調査データを社会と共有したり、既存データを活用したりする上での重要な土台となっていくと思われます。

■環境DNAとネイチャーポジティブ・TNFD

近年、「ネイチャーポジティブ」や「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」といった言葉が広く使われるようになりました。自然環境への依存や影響を把握し、リスクと機会を評価したうえで、企業や金融機関が戦略や投資を見直していくことが求められています。

その際に課題となるのが、「現地の自然環境をどの程度定量的に把握できるか」という点です。生物多様性の状態を評価するうえで、どの生物がどこに生息しているのかは、基礎的な情報です。環境DNAは、この基礎情報を比較的短期間に、かつ広い範囲で取得できる手段として活用が期待されています。河川流域や沿岸域など、企業活動やサプライチェーンと関わりの深い地域を対象に、環境DNAによるモニタリングを行うことで、自然資本の状態を把握しやすくなります。

■企業・自治体が取り組みを始めるには

企業や自治体が環境DNAを活用しようとする場合、いきなり大規模な調査を行う必要はなく、まずは、環境省 生物多様性センターなどが公開している手引きや情報を確認し、自分たちの関心の高いフィールドを一つ選ぶことから始めるのがよいかと思われます。

例えば、工場や物流拠点のそばを流れる河川、自治体にとって象徴的な湖や干潟などを対象に、「季節ごとに数回、水を採って環境DNAを解析してみる」といった小さなプロジェクトからスタートできます。得られた結果を従来の生きもの調査や水質データ、衛星画像などと組み合わせることで、その場所の自然環境の変化を立体的に把握することができます。

このような取り組みは、単に「生きものがいるかどうか」を確認するだけでなく、自社の事業が自然にどのような影響を与えうるのか、逆に自然からどのような恩恵を受けているのかを見直すきっかけにもなります。TNFDへの対応や、地域との協働による自然共生のプロジェクトづくりにもつなげやすくなると考えます。

環境DNAは、水を採るだけで生きものの存在をとらえられる、手軽でありながらポテンシャルの大きな技術です。研究機関が築き上げてきた知見と、環境省や関連機関による手引きや標準化の取り組みに支えられながら、行政や企業の現場での活用が広がりつつあります。一方で、調査設計やデータの解釈には注意点もあり、「何が分かるのか」「どこまでは分からないのか」を理解したうえで使うことが重要と思われます。こうしたポイントを押さえながら、まずは身近なフィールドから一歩を踏み出すことで、生物多様性や自然資本をめぐる対話が、より具体的なものになっていきます。

環境DNAをきっかけに、「自分たちと自然との関係をもう一度見つめ直す」、そのような取り組みが、企業や自治体の現場から生まれていくことを期待しています。

<参考文献>

国立研究開発法人産業技術総合研究所 環境DNAとは?
https://www.aist.go.jp/aist_j/magazine/20250312.html

環境省 自然環境局 生物多様性センター 環境DNA調査
https://www.biodic.go.jp/edna/edna_top.html

ANEMONEコンソーシアム 環境DNAを利用した生物多様性観測ネットワーク
https://anemone.bio/

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